高崎城趾
高崎城趾(徒歩4分/約250m)

POSITION 高崎鞘町の系譜

高崎市
鞘町
交通の要衝、賑わいの中心、
そして、上質な生活文化。
古より変わらない
高崎の地の利が、
新しい邸宅の背景となる。
現地周辺空撮写真
現地周辺空撮写真(2022年8月撮影)

HISTORY

城下町であり、
宿場町でもあった、
高崎の本質に通じる特等席へ。

徳川四天王として知られる
井伊直政が築いた城のほとり。

城下町としての高崎の歴史は、徳川家康の命を受けた井伊直政が、箕輪から高崎へ城を移したことに始まります。移城に際しては、多くの家臣や町人が移転。この時、城の追手門のほとりに区画されたのが鞘町です。以来、鞘町は、武家文化を支える職人の町として発展。一方で幕末には、中央小学校のルーツである私塾が置かれるなど、文教の地としても高崎の発展に寄与してきました。

高崎城趾
高崎城趾(徒歩4分/約250m)

武家の文化を支える
刀の鞘職人が暮らした鞘町

かつて刀の鞘を作る職人が多く暮らしたことからその名が付けられた鞘町。歴史ある街の周辺には、濠の石垣、櫓や門など、歴史の面影が深く息づいています。

高崎城下町エリアイメージイラスト
高崎城下町エリアイメージイラスト
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豊田屋旅館
豊田屋旅館(徒歩7分/約540m)
南銀座通り
南銀座通り(徒歩4分/約280m)

街道有数の賑わいを見せた
中山道・高崎宿の記憶。

鞘町とその周辺は、江戸時代初頭における中山道の整備に伴い、街道十三番目の宿場である高崎宿が置かれた場所です。高崎宿は、中山道と三国街道が分岐する交通の要衝であったことから商業地としても発展。周辺には、問屋や仲買の大商店が立ち並び、大いに賑わいを見せたといわれています。

木曾街道六拾九次「高崎」(歌川広重画)
出典:国立国会図書館デジタルアーカイブ
現地周辺イメージイラスト
現地周辺イメージイラスト

変わらない賑わいと潤いの中に、
古き良き伝統が薫る舞台。

「ファインレジデンス高崎鞘町」が誕生するのは、宿場町より受け継がれた商業エリアの賑わいと、城下町の頃から続く自然と文化の潤いが交差する高崎の特等席。さやもーるなどの商店街を身近にする計画地は、一方で、高崎まつりをはじめとする古き良き伝統を日常とするポジションです。

高崎まつ
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さやもーる
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高崎まつ
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1.3.高崎まつり 提供:高崎市観光課 2.さやもーる(徒歩1分/約85m)
高崎城址
高崎城址(徒歩4分/約250m)

LOCATION

音楽、芸術、建築など、
格調高い文化を愛でる日々へ。

周辺には、近代建築の巨匠アントニン・レーモンドが設計した群馬音楽センターや
建築業界で最も権威ある賞の一つであるBCS賞に輝いた中央図書館などが点在。
この地には、未来の資産となる建築と共に上質な文化を愉しむ風土が息づいています。

中央図書館
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群馬音楽センター
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群馬音楽センター
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高崎シティギャラリー
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1.中央図書館(徒歩6分/約410m)出典/高崎市立中央図書館 2.3.群馬音楽センター(徒歩7分/約500m)出典/群馬音楽センター 4.高崎シティギャラリー(徒歩8分/約600m)出典/高崎シティギャラリー
※掲載の航空写真は撮影(2022年9月)したものに加工を施したしたもので、形状・色等は実際とは異なります。
※掲載の概念図は現地周辺を書き起こしたイメージで、地形や建物、樹木の形状は実際とは異なります。※掲載の環境写真は2022年9月~2023年2月に撮影したものです。
※ 距離表示については地図上の概算距離を算出したもので、徒歩1 分= 80mとして算出( 端数切り上げ)しています。信号待ち等により所要時間は異なります。